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羽生直剛(FC東京)の経歴プロフィールは?出身中学や高校も紹介

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FC東京の羽生直剛選手は、プロサッカー選手としてのスタートは、ジェフ市原でしたが、2008年からはFC東京の所属となり、その後は一時的な移籍はあったものの、それ以外はFC東京一筋のサッカー人生を送っています。

羽生直剛選手のプレースタイルとして、相手を置き去りにして俊足を飛ばすとか、ひらりひらりと相手の間をすり抜けていくというような、派手なプレースタイルの選手ではありません。

あくまでプレーのバランスを取り、目立たずにさりげなく、無駄なプレーはしないという、縁の下の力持ち的な存在なのです。

もちろんチームにとっては、稲妻のようなスルーパスを通したり、一瞬で相手の裏を取るような選手も必要です。

しかし、普段は目立ちませんが、必要な時には必要な場所にいる、そんな選手もチームにとって必要なのです。

そして、羽生直剛選手とは、そのような形でFC東京にとって必要とされる選手なのです。

そこで今回は、FC東京の縁の下の力持ちである羽生直剛選手のプロフィールや、出身中学や高校などを見てみましょう!

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FC東京・羽生直剛のプロフィールは?

羽生 17

では、必要な時に必要な場所にいる羽生直剛選手とは、どんな選手なのでしょうか。

彼のプロフィールから見てみましょう。

羽生直剛のプロフィール

名前 羽生直剛(はにゅうなおたけ)
愛称 ニュウ はにゅー
生年月日 1979年12月22日(36歳)
出身地 千葉県千葉市花見川区
身長 167センチ
体重 62キロ
所属 FC東京
ポジション ミッドフィルダー
背番号 22
利き足 右足

羽生直剛のユース経歴

1986-1991 こてはし台SC
1992-1994 千葉市立こてはし台中学校
1995-1997 千葉県立八千代高校
1998-2001 筑波大学(蹴球部)

羽生直剛のプロ経歴

2002-2007 ジェフ市原/千葉
2008-2012 FC東京
2013 ヴァンフォーレ甲府 (期限付き移籍)
2014- FC東京

羽生直剛の代表歴

2001 筑波大学 ユニバーシアード日本代表(ユニバーシアード北京大会優勝)
2006-2008 日本代表(AFC 東アジアサッカー選手権)

以上が、羽生直剛選手の主なプロフィールでした。

それでは羽生直剛選手の来歴から見ていきましょう。

羽生直剛選手が、サッカーを始めたのは、小学校1年生の時です。

その頃は『こてはし台サッカークラブ』というチームに在籍していました。

『こてはし台サッカークラブ』は、当時千葉県のユースチームでは強豪として知られていました。

その後、1995年には、理論的サッカーで知られていた千葉県立八千代高校へ入学し、国民体育大会では3位に入賞する実績を挙げています。

1998年には、羽生直剛選手は筑波大学に進学し、2001年には日本大学選抜チームの一員として、ユニバーシアード北京大会に参加し、優勝を飾っています。

この時には、羽生直剛選手が、3点を取ってチーム最多の得点となっています。

また、この時の大学選抜チームには、後に日本代表選手となった巻誠一郎選手も在籍していたそうです。

巻誠一郎選手も、羽生直剛選手と同じく3点を上げています。

その後の羽生直剛選手は、2002年にジェフユナイテッド市原(後の千葉)に入団し、プロサッカー選手としてのスタートを切りました。

2003年には、後に日本代表監督となる、イビチャ・オシム氏が、千葉の監督となりましたが、そのオシム監督からは、

羽生という選手は、そのポジションにもっといい選手がいても、いつかどこかで使いたくなる選手だ

と、高い評価を受けていました。

ジェフユナイテッド市原での羽生直剛選手は、主にトップ下などでプレーしていましたね。

この当時から、羽生直剛選手の走力とスタミナは、相当だったようで、

『佐藤勇人、阿部勇樹、村井慎二らよりも、羽生の方が走力がある』

と評価されることも。

オシム氏が日本代表監督に就任したのは、2006年のことですが、その年に羽生直剛選手は代表選手として、アジアカップ予選のイエメン戦で、代表デビューを果たしています。

2008年に、FC東京へ移籍し、こうしてFC東京の羽生直剛選手が誕生したのです。

当時のFC東京の監督・城福監督の目指す『ムービングフットボール』には、羽生直剛選手のかつての動き・スタイルは、あっていたようです。

オシム日本代表監督が病に倒れた後は、岡田武史氏が後任の日本代表監督となりましたが、岡田ジャパンでも、羽生直剛選手は引き続き選出されています。

しかし、日本代表トレーニングキャンプを下腿三頭筋挫傷により辞退した後は、羽生直剛選手は、めっきり日本代表には呼ばれなくなりました。

2009年から2012年にかけては、FC東京の中心選手の1人として、トップ下や時にはボランチなどで活躍、さらにはキャプテンなども務めましたが、この頃が羽生直剛選手の全盛期だったのかもしれません。

2013年には、ヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍となりましたが、この甲府ではFC東京の前監督である城福氏が監督を務めており、ある意味、気心の知れた監督と選手の間柄だったのではないでしょうか。

しかし、羽生直剛選手が、シーズン途中で肉離れのために戦列を離れ、その後はほとんど出場ができないまま、そのシーズン終了。

2014年には、再びFC東京に復帰したのですが、この頃から羽生直剛選手の昔の攻撃的なスタイルから打って変わって、守備に重点を置くプレーに変わってきています

 

FC東京・羽生直剛の出身中学・高校と実家は?

羽生直剛選手の出身中学や高校に関してですが、出身中学は

『千葉市立こてはし台中学校』

です。

同校のホームページによる自校紹介をここでも紹介しますね。

こてはし台中は…

生徒は明るく元気でけじめがあり、挨拶がしっかりとできる生徒が多いです。

現在は自転車通学の比率が約55%と大変多く、交通安全が課題となっています。

自転車通学が多いものの、どこにでもある中学校という印象ですね。

特別なカリキュラムのようなものはなさそうです。

 

次に、羽生直剛選手の出身高校は、

『千葉県立八千代高等学校』

です。

こちらは、偏差値が普通科で"65"と、相当に高いことがわかります。

明らかに進学校です。

実は、この高校の偏差値は、以下のように千葉県内では、有数のトップクラスの高校なのです。

千葉県内高校 15位 (200校中)

千葉県内公立高校 7位 (138校中)

全国高校 236位 (5,230校中)

羽生直剛選手が、勉学にも秀でていることがよくわかりますね。

なお、羽生直剛選手の実家については、全く情報が見つかりませんでしたので、今のところ不明です。

 

まとめ

今回は、FC東京の羽生直剛選手のプロフィールを中心に、出身中学や高校などを見てきました。

羽生直剛選手のプレーぶりは、数年前と現在とでは、かなり変化が見られています。

簡単に言うと、昔は攻撃中心、今は守備重点ということになりますね。

昔から変化がない部分としては、いずれの場合でも、羽生直剛選手は、いぶし銀のような光を放つ、地味ですが、知る人ぞ知るという、渋いプレーをする選手です。

羽生直剛選手も、今頃になって守備が面白くなってきた、ということを語っていましたし、米本選手とは別な意味で、FC東京の守備にはかかせない人材と言えそうです。

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