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河野広貴の性格と出身中学高校をチェック!経歴プロフィールも!

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FC東京の河野広貴選手は、元々はヴェルディ川崎(現・東京ヴェルディ)育ちの選手です。

ジュニアユースからユース、トップチームと、ずっと東京ヴェルディ一筋の選手として活躍していました。

身長は、168センチと小柄ですが、俊敏な動きで相手を翻弄する、ドリブル突破が持ち味です。

今回は、現在はFC東京の河野広貴選手のプロフィールや経歴、それに性格と出身中学高校なども見ていこうと思います。

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FC東京・河野広貴の経歴プロフィールをチェック!

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それではまず、河野広貴選手の経歴プロフィールから見てみましょう。

河野広貴のプロフィール

名前 河野広貴(かわのひろき)
生年月日 1990年3月30日(26歳)
出身地 神奈川県相模原市
身長 168センチ
体重 65キロ

所属 FC東京
ポジション ミッドフィルダー/フォワード
背番号 17
利き足 左足

河野広貴の学歴

相模原市立田名中学校卒
光明学園相模原高等学校卒

河野広貴のユース経歴

1998年 - 2004年 ヴェルディSS相模原
2005年 - 2007年 東京ヴェルディユース
2007年 東京ヴェルディ (2種登録選手)

河野広貴のクラブ歴

2007 - 2011 東京ヴェルディ
2012- FC東京

河野広貴の代表歴

2006 - 2007 日本U-16/17
2008 - 2009 日本U-19/20

河野広貴選手の経歴ですが、サッカーを始めたきっかけは、これまたお兄さんの影響によるものです。

サッカー選手がサッカーを始めるきっかけに兄が出てくるのは、もはや恒例ですね。

8歳の時には、ヴェルディ川崎(当時)のジュニアユース、ヴェルディSS相模原に入りました。

2005年には、セレクションに合格して、ヴェルディユースに入団することができたのです。

その後、2006年にはAFC U-17選手権では、城福浩監督のU-16日本代表に招集されました。

そして、決勝の北朝鮮戦では延長戦で2得点を挙げ、これが決勝点となって日本代表は優勝!

また、2007年のU-17ワールドカップでは、8月19日のハイチ戦でも得点をあげ、これまた決勝点となるなど、大活躍をしました。

Jリーグの初試合は、2007年8月5日の愛媛戦ですが、その後2008年には東京ヴェルディのトップチームに昇格しています。

プロ初先発となった神戸戦ではプロ初の得点など、その後の活躍の片鱗を見せていました。

もっとも、河野広貴選手自身は、その当時のプレーを、

「必要以上に甘やかされていた。もっと早く移籍を決断しても良かった」

と言っています。

その後、2012年にはFC東京に完全移籍をしましたが、その移籍の理由は、

『自分自身のステップアップのため』

だそうです。

この時のFC東京の監督はランコ・ポポビッチ監督でしたが、中々出場の機会に恵まれず、また不慣れなポジションでプレーをすることもありました。

そのため、スペイン2部のチーム、CEサバデルからは2度も移籍を打診され、河野広貴選手本人は乗り気だったのですが、FC東京からの残留の要請で、この移籍は実現しませんでした。

2014年は、監督がマッシモ・フィッカデンティ監督となり、ドリブル突破の破壊力や攻守の切替の早さなどが監督の目に留まって、次第に出場機会も増えてきました。

対人プレーに強いこともあり、攻撃面だけでなく守備面でも強いことが河野広貴選手の特徴で、ウイングやトップ下などのポジションでレギュラーに選手されるようになっていきます。

J1での成績は、

東京ヴェルディ 114試合 19得点
FC東京 65試合 8得点

です。

また、各世代の日本代表での成績は、このようになっています。

代表名 大会 成績 試合数 得点数
U-16日本代表 AFC U-17選手権2006 優勝 4試合 2得点
U-17日本代表 2007 FIFA U-17ワールドカップ グループリーグ敗退 3試合 2得点
U-19日本代表 第6回仙台カップ国際ユースサッカー大会 2位 3試合 1得点
U-19日本代表 AFC U-19選手権2008 準々決勝敗退 3試合 0得点
U-20日本代表 カタール国際ユーストーナメント2009 3位 4試合 1得点
U-20日本代表 第5回東アジア競技大会 準優勝 3試合 0得点

このように、出場した大半の大会で得点をあげるなど、活躍しています。

河野広貴選手は、チャンスに強いタイプということかもしれませんね。

 

FC東京・河野広貴の性格と出身中学高校をチェック!

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河野広貴選手の性格は、かなり激情的で好戦的な性格です。

怒鳴られても意に介さず、

「ぜんぜん緊張しなかったッスよ。自分、頭が悪いからッスかねえ。相手は強かったし楽しかったッスよ」

と答えるなど、大物ぶりを見せています。

得点した後にゴール裏によじ登ったり、時には審判の判定に不満で、試合放棄しそうになったりと、非常に熱い性格の持ち主なのです。

河野広貴選手の出身中学は、『相模原市立田名中学校』です。

この相模原市立田名中学校の口コミでは、

・ごく普通の市立中学校だと思います。

・可もなく不可もない、ごく一般的な公立中学校です。

特別変わったこともなく、ものすごく悪いうわさもないかと思います。

というようなものが多く、とりたてて悪い噂や良い評価はなく、ごく普通の公立中学のようですね。

また、出身高校は『光明学園相模原高等学校』です。

相模原高等学校は1919年(大正8年の)開校で、当時としては珍しい男女共学でした。

今でも全日制の男女共学校ですが、仏教系の学校なので、

授業開始前には『南無阿弥陀仏』と唱える

そうです。

これは珍しいですよね。

部活動は、新体操部や、和太鼓部が盛んです。

また、学校名の『相模原高等学校』は、公立校に『神奈川県立相模原高等学校』があるため、設置した『学校法人光明学園』から"光明相模原"などの略称が一般的です。

偏差値は45で、神奈川県内では全246校中142位、全国では全5,233校中2869位となっています。

この光明相模原高校の口コミですが、あまり芳しくありません。

・学力のレベルは低く、高校1年の数学の定期試験の問題が中学1年のレベル、という話を友人から聞いたことがあります。

部活動では、上級生からの圧力があるという話も友人から聞きました。

・相模原では随一のバ○学校です。

評判も最悪ですよ。

相模原市内の中学生も、光明への進学だけは何としても避けようとしています。

なので、地元出身の生徒は少ないようです。

と、散々です。

この光明相模原高校の著名な出身者です。

Asami 歌手
建石智成 K-1選手 キックボクサー
関山晃弘 アニメーションプロデューサー
青柳良樹 俳優
久保孝真 お笑いタレント
吉川春菜 ものまねタレント

リオン武 総合格闘家 世界ライト級王者
河野広貴 プロサッカー選手 FC東京所属
木村直樹 元プロサッカー選手、サッカー指導者
深瀬菜月 新体操選手(2012年のロンドンオリンピック新体操団体代表として出場)

評判は悪いものの、この高校の卒業生には、タレントやスポーツ選手が多いのですね。

 

まとめ

今回は、FC東京の河野広貴選手について、プロフィールや経歴、そして性格と出身中学高校のことなどを見てきました。

河野広貴選手は、性格的にはかなり熱いようで、ゴール裏によじ登ったとか、試合放棄しそうになったとか、そんな一面も耳にします。

その分、プレーも熱いようで、小柄ではありますが対人戦にも強く、ドリブル突破も巧みで豪快と頼もしさもあります。

河野広貴選手は、サッカー選手としては今が盛りです。

これからの精進によっては、フル代表からの声がかかる可能性も秘めているでしょう。

あとは怪我に気をつけて、これからも頑張ってほしいものですね!

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