監督

マッシモフィッカデンティのFC東京監督退任(解任)の理由とは?

更新日

ミステル 6

2015年11月に、FC東京から驚くべきニュースが発表されました。

それが、マッシモ・フィッカデンティ監督の退任です。

つまり、2016年にはマッシモ・フィッカデンティ監督は、FC東京の指揮をとらず、別の監督が就任するということになったのです。

なぜFC東京は、FC東京史上最高の成績を収めた監督と、契約を延長しないのでしょうか?

当然、誰しもその疑問は感じますね。

そこで今回は、FC東京のマッシモ・フィッカデンティ監督とはどんな監督なのか、退任の理由などを調べてみました。

スポンサーリンク

アドセンス

マッシモ・フィッカデンティのプロフィールをチェック!

ミステル 7

それではまず、マッシモ・フィッカデンティ監督とはどんな人物なのか、そのプロフィールから見てみましょう。

マッシモ・フィッカデンティのプロフィール

名前 マッシモ・フィッカデンティ (Massimo Ficcadenti)
日本での愛称 ミステル マッシモ

生年月日 1967年11月6日(48歳)
出身地 イタリア マルケ州フェルモ県フェルモ
身長 181センチ
体重 77キロ

マッシモ・フィッカデンティの選手歴

ポジション ミッドフィルダー

1985-1989 USサンベネデッテーゼ
1989-1992 FCメッシーナ
1992-1997 エラス・ヴェローナ
1997-2000 トリノFC
2000-2001 ラヴェンナ・カルチョ

マッシモ・フィッカデンティの指導歴

2001-2002 USフィオレンツォラ1922
2002-2003 USアヴェッリーノ
2003-2004 ピストイエーゼ
2004-2006 エラス・ヴェローナ
2007 レッジーナ・カルチョ
2009-2010 ピアチェンツァ・カルチョ
2010-2011 ACチェゼーナ
2011 カリアリ・カルチョ
2012 カリアリ・カルチョ
2014-2015 FC東京
2016- サガン鳥栖

それでは、マッシモ・フィッカデンティの監督としての成績を見てみましょう。

イタリア杯及びJリーグ
年度 チーム リーグ 順位
2001 フィオレンツォーラ セリエC2 17位
2002 アヴェッリーノ セリエC1 優勝
2003 ピストイエーゼ セリエC1 10位
2004 ヴェローナ セリエB 6位
2005 ヴェローナ セリエB 15位
2006 ヴェローナ セリエB 18位
2007 レッジーナ セリエA 16位
2009 ピアチェンツァ セリエB 15位
2010 チェゼーナ セリエA 15位
2011 カリアリ セリエA 15位
2012 カリアリ セリエA 11位
2012 カリアリ セリエA 11位
2014 FC東京 J1 9位
2015 FC東京 J1 4位
2016 鳥栖 J1
イタリア セリエA 通算
75試合 17勝 24分 34敗
イタリア セリエB 通算
130試合 38勝 51分 41敗
日本 J1 通算
68試合 31勝 18分 19敗

マッシモ・フィッカデンティ監督のこれまでの成績を一覧で見てみると、FC東京時代は見事な成績ですね。

次に、FC東京での2015年度の詳細成績を見てみましょう。

2015年度の詳細成績

明治安田生命J1リーグ

1st 2位
2nd 6位
年間 4位
年間 19勝 6分 9敗 勝ち点63 (FC東京史上最高の勝ち点)

ヤマザキナビスコカップ

ベスト8

天皇杯

ベスト8

やはり立派な成績です。

これだけ良い実績をおさめた監督と、なぜFC東京は契約を更新しなかったのか、クラブ側の判断がおかしいとしか言いようがありませんね。

そしてその結果は、2016年になって降格争いに参加しているというのが現状です。

 

それでは、マッシモ・フィッカデンティ監督のこれまでの経歴をご紹介していきます。

1985年に、セリエBのUSサンベネデッテーゼで、サッカー選手としてスタートを切りました。

1992年には、移籍したヴェローナFCで1995-96シーズンに準優勝、セリエAへの昇格に貢献しています。

1997年には、名古屋グランパスエイトからオファーを受けることになり、これをきっかけに日本には深い関心を持つようになったそうです。

マッシモ・フィッカデンティ監督の親日家ぶりは大変なもので、FC東京の監督に就任するまでに、10回以上も訪日をしています。

しかも日本食が大好きという、筋金入りの日本びいきなのです。

マッシモ・フィッカデンティ監督は、2001シーズンのラヴェンナ・カルチョでのプレーを最後に、現役を引退しました。

監督としてのスタートは、2001年のセリエC2のUSフィオレンツォーラ1922から始まりますが、翌年からはセリエC1(3部リーグ)のUSアヴェッリーノやACピストイエーゼで監督をするようになりました。

2010年6月、セリエAのACチェゼーナ監督に就任し、自らJリーグを観戦して獲得を決めた、FC東京(当時)の長友佑都選手を重点的に起用し、長友選手の成長に大きく寄与したと言えるでしょう。

2014年には、旧知の立石氏が強化部長を務めるJ1のFC東京の監督に就任しましたが、これはイタリア人としては初めてのJリーグ監督です。

サッカーの先進国イタリアですから、既にJリーグには多数のイタリア人監督が在籍していたのかと筆者は思っていたのですが、マッシモ・フィッカデンティ監督が初のイタリア人監督とは意外でしたね。

 

マッシモ・フィッカデンティFC東京監督退任(解任)の理由

ミステル 12

それでは、これだけの実績をあげたマッシモ・フィッカデンティ監督はどのような理由で、FC東京の監督退任(解任)となったのでしょうか。

 

当のマッシモ・フィッカデンティ監督によれば、

「残念ながら、私とフロントとのビジョンに違いがあった」

ということだそうですが…。

つまりは、契約更新が行われなかったのは、成績によるものではなく、FC東京の求めるチームのあり方について意見が一致しなかったということですね。

マッシモ・フィッカデンティ監督のサッカー戦略は、イタリアスタイルの堅守速攻、カテナチオ(鍵をかけるの意)により、ウノゼロ(1ー0)を目指すというスタイルです。

できるだけ失点数を押さえ、派手な勝ち方よりも年間を通して、コツコツと勝ち点を伸ばすという考え方です。

これで、FC東京の2015年は、勝ち点63というFC東京史上最高の成績を収めたのです。

しかし、FC東京側から言わせると、地味になりながらも、そこまで試合内容よりも勝利にこだわるのなら、それで年間4位では不満足で、優勝しなければ!ということになるわけです。

マッシモ フィッカデンティ監督自身は、この2015年の結果について、

「チームのイメージを高めることができたと思います。すばらしい基礎ができました。次は優勝してタイトルを勝ち取るだけです」

と言っていました。

この言葉から察するに、マッシモ・フィッカデンティ監督自身は、FC東京との契約更新には、積極的だったと考えられます。

しかし、FC東京側の考えは、マッシモ・フィッカデンティとは異なり、契約更新はならず、結果、監督退任(解任)となったのです。

このマッシモ・フィッカデンティとFC東京の求めるビジョンの食い違いが、マッシモ・フィッカデンティ監督の退任(解任)の理由と考えて、間違いはないでしょう。

フィッカデンティ監督のFC東京でのお別れの言葉です。

この2年間、本当に素晴らしい時間を過ごすことができました。

深く感謝しています。

また、この2年で大きく成長してくれた選手たちには、特に感謝しています。

彼らは人間としても大きく成長したのです。

もちろんサポーターたちの間では、このマッシモ・フィッカデンティ監督の退任(解任)を惜しむ声が高く、ネットで耳にする声はこのように言っています。

「マッシモのおかげで今回は4位になれた」

「勝点も歴代最高なのに、なぜ?」

「なぜ監督交代が必要なのか、わからない」

「これだけの成績で退任するなら、次の監督のなり手はいないんじゃないか」

「これで次の監督でペケだったら、フロントは責任とれよな」

現状のFC東京がどうなっているかを見れば、これは完全にフロントの判断ミスだったといえるでしょうね。

 

まとめ

FC東京のマッシモ・フィッカデンティ監督は、チーム史上最高の成績を収めながら、契約更新は行われず、監督退任(解任)となりました。

今回は、FC東京のマッシモ・フィッカデンティ監督の経歴プロフィールと一緒に監督退任(解任)の理由を見てきたのですが、

『マッシモ・フィッカデンティを手放すなんて、つくづくFC東京はもったいないことをしたな』

と残念でなりません。

今頃、サガン鳥栖のフロントは大喜びしているでしょう。

監督退任(解任)理由は、FC東京が求めるビジョンと、マッシモ・フィッカデンティ監督が考えるビジョンとが一致しなかったからです。

ならば、FC東京の考えるビジョンとは、

『試合には負けても良いから、かっこいい試合をしろ』

とでもいうのでしょうか。

FC東京のフロントの考えることは、どうもわかりませんね。

マッシモ・フィッカデンティの記事はこちらもよく読まれています!

マッシモフィッカデンティ監督(元FC東京)の戦術!評価や年俸も紹介

マッシモフィッカデンティの親日をチェック!痩せた理由は納豆?

スポンサーリンク

アドセンス

アドセンス

-監督