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石川直宏(FC東京)の経歴プロフィール(出身・学歴・嫁子供)を紹介

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石川 10

別記事で石川直宏選手の怪我について書きましたが、最近、FC東京のファンになった方は、"石川直宏"という名前には、ピンと来ないかもしれませんね。

石川直宏(FC東京)の怪我の原因と状態は?復帰がいつ頃か予想も!

石川直宏選手は、怪我のため最近はほとんど試合に出ていませんが、2008年から2010年頃にかけては、今野選手とならんで、FC東京でも最も人気のある選手だったのです。

それに石川直宏選手は、イケメンとしても知られていますが、暫く前にヒゲをのばしてからは、そのイケメン度は大分下がってしまったという、もっぱらの噂です。(上の画像は若い頃のヒゲなしのものです)

というわけで、今回は石川直宏選手の経歴プロフィールや、出身、家族(お嫁さんや子供)のことなどを見てみましょう!

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FC東京・石川直宏の経歴プロフィールをチェック!

石川怪我  3

まず、FC東京の石川直宏選手とはどんな選手なのか、彼の経歴プロフィールから見てみましょう。

石川直宏のプロフィール

名前 石川直宏(いしかわなおひろ)
愛称 ナオ
生年月日 1981年5月12日(35歳)
出身地 神奈川県横須賀市
出身校 横須賀市立粟田小学校~横須賀市立野比中学校~横須賀市立横須賀高等学校
兄弟 石川貢、石川扶

身長 175センチ
体重 70キロ

所属 FC東京
ポジション ミッドフィルダー
背番号 18
利き足 右足

石川直宏のクラブ歴

2000-2002 横浜F・マリノス 15試合 1得点
2002- FC東京 297試合 51得点

石川直宏の代表歴

2000-2001 U-19/20
2002-2004 U-21/22/23
2003-2012 日本代表

石川直宏選手のプロサッカーのスタートは、横浜F・マリノスですが、その後、2002年からはFC東京一筋のサッカー人生で、プロサッカーに限れば『FC東京の生え抜き』に近いでしょう。

そんな石川直宏選手が、サッカーを始めたのは、5歳の頃からです。

小学校のときは、地元のジュニアサッカークラブの『横須賀シーガルス』に入っていたそうで、鈴木達也選手や、元FC東京所属だった茂庭照幸選手などとは、この頃から知り合いだったそうですよ。

中学に入ってからは、横浜マリノスジュニアユース追浜に入団し、高校進学時には横浜マリノスユースに昇格しました。

しかし、その当時の石川直宏選手は、クラムジーの発生や競合する選手の台頭、さらに横浜フリューゲルスとの合併による選手層の拡大などで、かなり苦しんだようです。

ちなみに、"クラムジー"とは、中学生の時期など急激に身体が成長する時、身体と感覚のバランスが崩れ、それまで可能だった技術や動作ができなくなる時期のことを言います。

それでも石川直宏選手は、後年の特徴にもなったスピードを武器にし始め、サッカー選手としての能力を開花させていきました。

2000年には横浜F・マリノスのトップチームに昇格し、Jリーグデビュー。

2001年には、U-20日本代表の一員としてとして、ワールドユースのアルゼンチン大会に出場、この時の背番号はエースナンバーである10番をつけるほどでした。

この時のテレビ解説者は、原博実さんで、この縁が石川直宏選手のサッカー人生の転機となりました。

その後の石川直宏選手は、横浜マリノスでは監督と相性が合わなかったためか、次第に出場機会が減り、移籍を考えるようになりました。

2002年当時は、移籍先としてサンフレッチェ広島が候補になっていたのですが、FC東京監督に就任したばかりの原博実監督が、石川直宏選手をぜひ取りたいとの意向を示し、こうして期限付きではありますが、2002年4月に、FC東京の石川直宏選手が誕生したのです。

そして、移籍3日後にはナビスコカップに出場の機会を与えられ、持ち前のスピードを生かした突破力でアシストを記録、その後は右サイドのポジションを定位置としていきました。

2003年8月にはFC東京に完全移籍となり、U-22日本代表で活躍すると同時に、キリンカップのA代表にも初めて選出。

その後、東アジア選手権でもA代表に選出され、香港戦ではついに国際Aマッチに初出場となります。

U-22代表からA代表監督に抜擢されたのは、大久保嘉人選手、松井大輔選手、そして石川直宏選手の3人だけです。

2004年には、U-23代表としてアテネオリンピックアジア最終予選の突破に貢献しました。

しかし、オリンピックの本大会では、最終戦であるグループリーグの第3戦だけの出場にとどまり、後になっても

「大変口惜しかった」

とコメントしています。

また、この年は、オールスター戦にはじめて選ばれ、ゴールを決めてMVPを受賞しました。

ナビスコカップの決勝の浦和戦では、延長を含めて120分にフル出場し、大奮闘しましたが、これが影響してペナルティキックでは足がつって蹴れないということもありました。

2005年には、セリエAのトレヴィゾから石川直宏選手の獲得オファーがあったのですが、その頃はFC東京がリーグ戦で苦戦していた時期でもあり、結局このオファーは断ることにしたそうです。

このエピソードで、石川直宏選手のチーム想いな一面も伺えますね。

その年の9月には、石川直宏選手にとっては、サッカー人生の転機となる、大きなトラブルが発生しました。

古巣である横浜マリノス戦で、右膝前十字靭帯損傷及び右膝外側半月板損傷という、大怪我をしてしまったのです。

この時は全治8ヶ月と診断されましたが、実際に試合に復帰したのは、怪我から10ヶ月後。

2006年から2007年にかけては、怪我の影響もあり、かなり出場機会が減りましたが、2008年に城福浩監督がFC東京監督となってからは、大宮戦でプロ入り初のハットトリックを決めるなど、一気に大活躍をするようにまで復活。

この時期に、石川直宏選手のプレースタイルは、サイドを超高速のドリブルで駆け上がり、中に切れ込んでシュートを打つという、いわば『石川スタイル』を確立したのです。

この頃は、磐田の前田遼一選手(現FC東京所属)と、得点王争いを演じる程の好調ぶりでした。

この時は、

「ミッドフィルダーで初の得点王獲得か」

と、石川直宏選手が騒がれたものです。

しかし、2009年には左膝前十字靭帯損傷のため、またも長期離脱となってしまいました。

それから再度復活し、2012年には、ザッケローニ日本代表監督から、攻撃面での切り札として指名され、日本代表に復帰したのです。

2013年以降は、ルーカス選手の加入や、腰椎椎間板ヘルニアの影響などにより、次第にFC東京での出場機会が減るようになりました。

そして、2015年のドイツでのフレンドリーマッチで、2009年に痛めた左膝前十字靭帯損傷の怪我をし、またまた長期離脱となりました。

この怪我の時、石川直宏選手は、

「よくここまで(自分の膝が)もってくれたものだ」

と述べています。

 

FC東京・石川直宏の出身と嫁・子供などの家族は?

石川怪我  5

FC東京・石川直宏選手の出身地は、神奈川県横須賀市です。

学校も横須賀市立粟田小学校から横須賀市立野比中学校へ、さらに横須賀市立横須賀高等学校と進学したているので、生粋の横須賀人とも言えそうですね。

石川直宏選手は、3人兄弟の長男で、石川貢さんと石川扶という弟が2人いますが、いずれもサッカー選手です。

兄弟仲は非常によかったそうですが、男の子なので喧嘩もいつものようにしていたとか。

そんな石川直宏選手は、すでに結婚しており、お嫁さんがいます。

2011年3月3日に結婚したそうで、お嫁さんの名前は、千葉(旧姓)麻衣子さんという方で、東邦音楽大学音楽学部打楽器科を首席で卒業した、マリンバ奏者です。

サッカー選手の例に漏れず、当然、素晴らしい美人さんなお嫁さんです。

石川 結婚

美人なお嫁さんとの結婚後は、石川直宏選手は子宝にも恵まれました。

現在、石川直宏選手には子供が2人いて、いずれも娘だそうですよ。

長女は『樺音(かのん)ちゃん』という名前で、お嫁さんが音楽家なことから、輪唱の『カノン』からつけた名前のようです。

そして、樺音(かのん)ちゃん誕生の2週間後には、石川直宏選手自らのゴールで、『ゆりかごパフォーマンス』を演じることができたのです。

これからも、石川直宏選手には家族仲良く暮らして、微笑ましい一面を見せてほしいものですね。

 

まとめ

今回は、FC東京の石川直宏選手の経歴プロフィール(出身・嫁子供など)のことなどを見てきました。

お嫁さんの千葉(旧姓)麻衣子さんは、東邦音楽大学音楽学部打楽器科を首席で卒業するほどのマリンバ奏者。

石川直宏選手とお嫁さんが並ぶと、掛け値なしの美男美女というカップルですね。

このお2人から生まれた子供も、幼くして美少女の見本のような、かわいらしい子供でした。

このように家庭的には恵まれている石川直宏選手ですが、サッカー選手としての運は、必ずしも恵まれているとは言えません。

石川直宏選手には、度重なる怪我にも負けず、今後の活躍を期待したいですね。

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