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城福浩監督(FC東京)のプロフィールと年俸は?息子とのエピソードも

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城福浩監督は、富士通(サッカーでは川崎フロンターレの前身)の社員でしたが、監督としてのキャリアは、2008年のFC東京が最初です。

そういう意味では、FC東京生え抜きの監督と言うこともできるでしょう。

城福浩監督は、サッカーの戦術として、

『ムーヴィングフットボール』

を標榜して、人もボールも動く攻撃的なポゼッションサッカーをめざしたのですが、時には大きな成果を上げたものの、2部降格の原因を作るなどの失敗もありました。

その責任を取るような形で、ヴァンフォーレ甲府へ移籍し、そこではJ2優勝とJ1昇格というめざましい成績を挙げたのです。

そして、フィッカデンティ監督の後任として、城福浩さんが、2016年から再びFC東京の監督に復帰したのです。

今回は、その城福浩監督のプロフィールや年俸をご紹介し、また、家族のことなども見ていくことにしました!

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FC東京・城福浩監督のプロフィールと年棒はいくら?

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それでは、まずFC東京の城福浩監督とはどんな人なのか、彼のプロフィールからご紹介していきましょう。

城福浩のプロフィール

名前 城福浩(じょうふくひろし)

生年月日 1961年3月21日(現在55歳)

出身地 徳島県徳島市

学歴 徳島県立城北高校 ~ 早稲田大学教育学部卒

身長 167センチ

体重 64キロ

城福浩の監督歴

1995-1996 富士通 富士通川崎

2002 U-14日本選抜

2002-2003 U-15/16日本代表

2005-2007 U-15/16/17日本代表

2008-2010 FC東京

2012-2014 ヴァンフォーレ甲府

2016- FC東京

城福浩監督がサッカーをはじめたのは、小学校3年生の時です。

サッカーをはじめたきっかけは、お兄さんの影響ということで、多くのプロ選手にみられるように、城福浩監督も兄弟がサッカーをやっていたことが、サッカー人生をはじめるきっかけのようですね。

1979年に早稲田大学に進学し、『ア式蹴球部」に入部しました。

なお、『ア式蹴球』とは、アソシエーションサッカーの略で、要するに普通のサッカー、現在のサッカーのことです。

1863年のイギリスのフットボール協会(各国のサッカー協会の元祖・元祖ゆえに国名のイングランドはつきません)が、サッカーのルールを定めたのです。

その時に、パブリックスクールの1つ、ラグビー校の発祥となった、手を使ってもよいラグビーフットボールが『ラ式蹴球』となり、足のみを使うサッカーは、アソシエーション(協会)蹴球と言われるようになりました。

大学などのサッカー部では、その頃の名称を現在まで残している所が、かなりあるそうです。

当時の城福浩さんは、トリッキーなパスを多用する異端派だったそうで、現在の城福浩監督のイメージからは想像できない姿ではないでしょうか。

大学卒業後は、富士通に入社し、富士通社サッカー部(川崎フロンターレの前身)で、MFとしてプレーしましたが、当時から城福浩さんは、理論派で有名だったようです。

指導者としての活動は、1993年に富士通サッカー部のコーチとなったのが最初で、1995年には富士通川崎フットボールクラブの監督となっています。

翌年に富士通川崎フットボールクラブは、Jリーグ参入を表明し、当時の城福浩監督は、監督留任を望んでいたのですが、チームの意向でプロの監督を採用することになったため、彼はサッカーを諦めて、富士通社員としての仕事に専念することとなりました。

しかし、城福浩監督とサッカーは、切っても切れない縁があることがわかります。

東京ガスサッカー部(今のFC東京です)からの勧誘で、1998年には富士通を退社し、城福浩さんがFC東京の設立準備組織に参加することとなりました

1999年には、FC東京となったチームでは、ユースチームの強化に注力します。

その後、FC東京からJFAに出向の形で、U-15やU-18などのユースチームの監督となりましたが、この頃から一貫して若手育成という意識が強かったようです。

2008年には、ついには城福浩さんがFC東京の監督となるのです。

ちなみに、FC東京の前任者監督は、原博実さんです。

城福浩監督は、この頃から既に『ムービングフットボール』の理念を持ち、パスサッカーとポゼッションサッカーを目指しました。

この城福浩監督就任の年は、FC東京は年間6位に終わりましたが、翌2009年には年間5位となり、ナビスコカップで優勝しました。

これは2004年に続く、2度目のFC東京のナビスコカップ優勝です。

しかし、翌年の2010年9月には、降格圏すれすれの16位にまで順位が落ち込み、同月19日に城福浩さんが監督解任となりました。

この時のFC東京の後任監督は、FC東京がJリーグに加入した時の初代監督である大熊清さんですが、大熊さんの力量をもってしても、落ち始めた勢いは容易には止まらず、ついにFC東京は、J2陥落となってしまうのです。

もっとも、J2ではFC東京がダントツの1位で、1年でJ1復帰となりましたが。

2012年から3年間、城福浩監督は、冒頭でもお話した通り、J2のヴァンフォーレ甲府の監督となり、J2優勝とJ1昇格を果たしました。

そして、2015年からは甲府の監督を退任し、城福浩さんは、フリーの状態となりましたが、2016年に古巣のFC東京監督に復帰

城福浩さんの監督としてのスタイルは、試合中は常にピッチそばに立って、大声で指示を出し続け、審判の判定には大声で異議を申し立て、得点した時には拳を天高くつきあげるガッツポーズで有名です。

あまりに声をがなりすぎて、試合後のインタビューでは喉がガラガラ声のまま話すなど、城福浩監督は、情熱的な人柄が見られますが、普段はごく穏やかな紳士だそうです。

そんな城福浩監督ですが、監督業としての年棒は、いくらくらいなのでしょうか。

さっそくご紹介していきます。

城福浩監督の年棒(いずれも推定)

2011年 (FC東京) 5000万円
2012年 (FC東京) 5000万円
2013年 (ヴァンフォーレ甲府) 3000万円
2014年 (ヴァンフォーレ甲府) 3600万円
2016年 (FC東京) 4800万円

これだと、年俸が高いのか安いのか、わかりづらいと思いますので、参考として、Jリーグ監督の2015年度の年棒ベストテンを見てみましょう。

Jリーグ監督の年棒ランキング 2015年度(いずれも推定)

1位 ネルシーニョ (ヴィッセル神戸) 1億5000万円
2位 長谷川健太 (ガンバ大阪) 1億円
3位 ペトロビッチ (浦和レッズ) 8000万円
3位 ミルトン・メンデス (柏レイソル) 8000万円
5位 マッシモ・フィッカデンティ (サガン鳥栖) 7000万円
6位 森保一 (サンフレッチェ広島) 6000万円
7位 風間八宏 (川崎フロンターレ) 5000万円
8位 城福浩 (FC東京) 4800万円
9位 曺貴裁 (湘南ベルマーレ) 4500万円
10位 エリク・モンバエルツ (横浜F・マリノス) 4000万円
10位 石井正忠 (鹿島アントラーズ) 4000万円

また、2013年度には、ストイコビッチ監督や、セレーゾ監督が在籍していましたので、そちらも見てみましょう。

Jリーグ監督の年棒ランキング 2013年度(いずれも推定)

1位 ストイコビッチ (名古屋グランパス) 1億3000万円
2位 トニーニョ・セレーゾ (鹿島アントラーズ) 1億円
3位 ネルシーニョ (柏レイソル) 8000万円
3位 レビー・クルピ (セレッソ大阪) 8000万円
5位 ペトロビッチ (浦和レッズ) 5500万円
6位 アフシン・ゴトビ (清水エスパルス) 5000万円
6位 風間八宏  (川崎フロンターレ) 5000万円
8位 ベルデニック (大宮アルディージャ) 4500万円
9位 ランコ・ポポビッチ  (FC東京) 4000万円
10位 手倉森誠 (ベガルタ仙台) 3600万円

これをみると、城福浩監督は、Jリーグの監督の中でも結構、年俸をもらっていることがわかるのではないでしょうか。

そして、やはりネルシーニョ監督や、ストイコビッチ監督は年俸が高額ですね。

日本人監督の中では、風間監督の5000万円が最高額でした。

ただし、日本人監督でも、中国スーパーリーグの杭州緑城では、岡田武史監督の年俸は推定ですが、3億円と言われています。

これには、さすがはチャイナマネーと驚かされるばかりです。

 

FC東京・城福浩監督が家族(息子)について語ること

城福監督

城福浩監督の家族そのものについては、いろいろネット中を調べてみても、ほとんど情報が見つかりませんでした。

せいぜい城福浩監督の家族は、お嫁さんと息子と娘の子供がいるという程度でした。

しかし、城福浩監督は、家族について語った興味深い一節がありますので、今回は、そちらをご紹介しましょう。

これが、ちょっといい話なのです。

城福浩監督は、ヴァンフォーレ甲府時代、単身赴任だったので、食事はクラブで取っていたとのこと。

なお、

「自炊は面倒なのでしません」

とのことでした。

筆者と同じですね。(ここだけは)

また、クラブでの食事では、選手と一緒にならないよう気を使っていたとのことです。

選手たちにすれば、折角の楽しい食事も、上司である監督と一緒では気詰まりだろうという、気配りですね。

さて、家族についてのお話ですが、城福浩監督は、自身の息子に対して負い目があったようです。

それは、

「自分のせいで、いちばん楽しいはずの青春期に『サッカー嫌い』にさせてしまった」

ということだそうで、なんと、城福浩監督の息子さんは、高校3年間はサッカー部などには属さず、学校が終わると即帰宅するという帰宅部だったのです。

これは想像ですが、サッカーのためにすべてを犠牲にしていた父親・城福浩監督に対しての息子からの反発ではなかったかと思います。

しかし、息子が大学に入学してからは、サッカー部ではありませんが、サッカー同好会に入り、大変楽しそうにしていたとのこと。

その様子をみて、城福浩監督も息子に対しての負い目から解き放たれたそうです。

そしてさらに、映像関係の学科に進んだ城福浩監督の息子は、

「親に対する『感謝の意』を映像化する」

という課題にチャレンジしていきます。

その映像では、城福浩監督と、その息子が、向かい合ってサッカーボールを蹴り合う様子を映したもので、できあがった作品は、セリフもBGMもなく、ボールを蹴る足とボールだけの画面に、ただボールを蹴る音のみが流れていきます。

そして、最後シーンでは一行だけメッセージが…。

『親父ありがとう』

城福浩監督は語りました。

「息子は、題材にサッカーを選んでくれたんです。それだけで、胸がいっぱいになりました。」

この作品は、城福浩監督の一生の宝物となったとのことです。

この城福浩監督の家族の心温まるエピソードで、思わずジーンときてしまいそうになりますね!

 

まとめ

城福浩監督は、監督としてのキャリアをFC東京の監督としてスタートしました。

そしてヴァンフォーレ甲府を経て、現在2016年には、再びFC東京監督に復帰したのです。

今回は、そんな城福浩監督のプロフィールと年俸をご紹介し、また家族(息子)との心温まるお話もご紹介することにしました。

サッカーに対しては、理論的なのに情熱的な姿勢と、人生での真摯な姿勢が対照的な城福浩監督ですが、家族とのエピソードを見ると、そのあたりに葛藤があったことも、なんとなく理解できるような気がします。

城福浩監督には、FC東京復帰を機に、FC東京のクラブ史上初のJ1優勝に導いてくれることを、期待していきたいですね!

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